司祭 アントニオ 出口 崇
折が良くても悪くても【ルカ9:28−36】
皆さん、最近、景気どうですか?
「イイですねー!」という声はあまり聞かれません。私が定期的に行く場(床屋さんや飲食店など)でも、かなり否定的な声をよく聞きます。物価や仕事など、話題は様々なのですが、共通しているのは、「○○のせいで」という枕がつきます。
今までも「政治」「上司」「パートナー(?)」という言葉が入っていたのですが、最近気になるのが、「高齢者」「外国人」という言葉が○○に当てられることです。自分の属していないグループを「敵」とみなす。個人的な繋がりではなく、顔の見えない人々に責任を押し付けようとする。そんな風潮を感じています。私だけの体感なのであれば良いのですが、複数の場でそのような声を聞いたので、かなり不安になってきました。
水曜日から大斎節が始まります。今までの宣教活動、多くの人に福音を宣言し、病の人を癒し、たくさんの人たちがイエス様に従います。とても「景気の良い」状態です。光り輝くイエス様を見ていた弟子たちも、うれしい、誇らしい時でした。
しかし光が消え、「こんなはずではなかった」、不安、後悔。多くの人間の弱さが露呈していく中で、イエス様だけが、混乱の中裏切り逃げ惑う私たち一人一人の手をしっかり握ってくださっています。
形は変わっても、見失うことがあっても、常にイエス様の声は私たち一人一人にかけられており、その声に聞き「景気」だけではなく、折が良くても悪くても、従っていくことができればと思います。
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